2012年02月23日

ドッツカードで「子どもは学びたがっている」ことを実感

ドッツに関しては、1歳過ぎから始める場合、手を出してカードを取りにきたり、集中しないことがあると最初に聞いていましたが、康一の反応には驚きました。

初めてドッツを見せたとき、それまでもいつもニコニコと笑顔の康一でしたが、今までに見たことがないほど、嬉しそうな笑顔で、おしりをピョンピョンはねながら、喜んで見てくれたのです。

大人にはわからない子どもの才能があることを本当に実感し、「子どもは学びたがっている」というのは真実である、と痛感したしだいです。

その姿を主人にも見てもらいたくて、主人の前でドッツを見せたとき、康一は言葉こそ発しませんが「ねえ、パパ、パパ、見てよ、ほら見てよ!」という声が聞こえてきそうなほど、うれしそうにニコニコしながら主人の顔を見ていました。

それからカリキュラムを進めましたが、私の都合で、引き算を一度したところで、少しお休みになってしまいました。1歳7ヵ月のとき、康一がはしかにかかってしまい、かなり重症で、寝ても起きても抱っこという生活が1週間ほど続きました。少し具合がよくなり、私から離れて歩いて初めて行ったところが、ドッツの入っている引き出しの前です。

それをやりたいと、手にすがりついて泣くのです。まだ熱もあり心配で、私としてはそんな心境ではありませんでしたが、あまりの要求の強さにドッツをしてみました。

引き算を一度してから、長いブランクがあったのですが、「どっち?」と言って2枚のドッツを見せると、瞬時に指さすカードはすべて正解で、あっというまに10問やり終えました。そのときの顔つきは、まだ熱があって元気ではないのですが、迷いもなく、また真剣そのものでした。

あまりの出来事に、ドッツを見せながら、鳥肌が立つほどでした。私もドッツの意味は勉強させていただいたつもりでしたが、やはり目の前で起こったことが信じられず、ただ驚くばかりでした。

そして、「すごいねー」と言いながら、康一を抱きしめるばかりでした。3歳のとき、幼稚園に入る前に、母子分離を経験させようと、ある幼児教室に入学させました。そこでは、ドッツや古典(俳句カード)、英語、リトミックなどを行なっていました。

2学期末の懇談会で、先生から「これには私たちも驚いたのですが」という言葉とともに、IQ194と告げられました。やはりビッテ式と出合えたおかげで、康一の才能を引き出していただけたのだ、と改めて感謝しました。

幼稚園に入り、年少さん年中さんと、クラスでリーダー的存在で、先生からも「クラスを引っ張ってくれるお兄さん的存在」と言われ、お友だちもたくさんできました。そして、先生から「どうしたら、そんなふうに育つのか」と聞かれたほどでした。
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2012年02月20日

1歳4ヵ月で大人とふつうに会話

子どもの能力に関しては、ずっと以前、まだ自分が結婚していない頃から、興味をもっておりました。「子どもには何か素晴らしい能力がある」との確信があり、いつか子どもをもったら、その能力を育ててあげたいと漠然と思っていました。

教育と言っても私か実践したのは、たいそうなものではなく、1日の家事、育児の中でわずかに空いた時間(5~30分)に、教材を使って子どもと楽しく遊ぶ、というものでした。

生後まもなく、授乳のとき以外は起きているわずかの間、子どもの横で、いっしょに仰向けに寝た状態で、絵本を開いて読み聞かせました。すると、まだ小さな小さな娘は、目を輝かせるようして、両手両足をバタバタ動かしながら、絵本に見入っていました。

そのとき以来、植物や動物の図鑑に至るまでさまざまな本を見せ、読んで聞かせました。娘は興奮し、喜びを体全体で表わしました。その後、仰向けのままで、絵カードやドッツカードを見せると、大喜びしているようでした。

生まれた日から哺語が出ており、言語の発達は急速に進みました。6ヵ月で発語は10語以上、1歳1ヶ月で2語文、1歳2ヶ月で3語文、1歳4ヶ月に入る前には、大人と普通に話せるようになりました。

英語も、母国語として話す同時期の子どもより、はるかに上手にしゃべっておりました。文字読みは、4ヶ月頃から字(特に漢字)に興味を示し、読んでやるとキャッキャッと声を出して喜びました。

10ヶ月で字を読み始め、その後、ひらがなとカタカナとアルファペットは、プレイシートで遊んでいたのですぐに覚えてしまいました。2歳になるとひとりで読書するようになり、2歳10ヶ月からは絵日記を書き始めました。

同じ2歳のときでしたが、アメリカに出張中の父親の所に国際電話を入れ、現地の方が出たので、簡単な英語を話して父親に繋いでもらっていました。感受性もかなり早くから発達しておりました。

8ヶ月のとき、初節句で飾ったおひなさまを片づける日、箱の中に頭をつっこんだりして座りこんでべそをかき、悲しそうにしておりました。「満衣ちゃんのおひなさまはどこ?」と尋ねると、飾っていた場所を見て、私にさびしそうな笑顔を見せました。

そして、「ネンネ」と言いましたので、「そうね、箱の中でネンネしているわね」と答えました。まだこんなに小さいのに、ここまで感情が育っているのかと驚き、おひなさまを片づけるさびしさを親子で共に味わいました。

現在、幼稚園の年長組として、弟といっしょに楽しく幼稚園に通っています。もちろん、子どもですから、注意したり、叱ったりすることもありますが、元気いっぱいで明朗活発、バイタリティーにあふれる感情豊かな優しい子に育ってくれました。

先日ハロウィンーパーティーをしたのですが、プログラムや部屋の飾り、ゲームもひとりで考え、道具もすべて手作りでした。私は当日、部屋を整え、食べ物を用意したぐらいです。このように、何にっけても実行力があり、こうしようと決めたら、即実行に移し、必ず成し遂げます。

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2012年02月08日

1歳6ヵ月の乳児検診で2語文を話し医師もびっくり

結婚3年目にしてやっと授かった子どもが勇太です。心の底から望んだ子どもでしたが、私の体調が悪かったせいもあって、夜泣きなどで、本当につらい子育てのスタートとなってしまいました。

そんな母親の子どもに対する働きかけが悪かったせいでしょうか、6ヵ月になってもお座りができず、とても動きの少ない子どもになっていました。

そんな頃、知人からビッテ式「家庭保育園」を教えていただき、母親の働きかけの大切さを痛感し、入会させていただきました。最初に送られてきた教材の多さに「こんなにたくさん私にできるかしら」と不安になったことを今でも思い出します。

1ヵ月、2ヵ月とカリキュラムを進めていくうちに、本当に驚くべきことが次々に起こったのです。始めてしばらくすると、絵カードを並べて「りんごは?」と言うとりんごを指し、「犬は?」と言うと犬を指しました。

1歳の誕生日の頃には、名前を呼ぶと返事をし、年を聞くと指を1本立てて「いち」と答えるようになりました。また、1歳4ヵ月の頃からひらがなを1文字ずつですが、読み始めるようになり、1歳6ヵ月の乳児検診のときには、単語100以上をはっきり発音し、2語文を話し医師をびっくりさせました。

2歳前後には「これなあに、これなあに」の毎日で大変でしたが、「なぜなにブック」で本当に助かりました。たいていのことは1、2回で覚えてしまい、特に国旗や記号、電車が大好きで、国旗などは全体の6分の1くらいの部分を見せるだけですぐに国名を答え、電車も目の前を通り過ぎただけで名前を言い当てました。

この頃、主人の会社で子供も一緒に参加する行事がありました。それまで主人は勇太が普通の発達をしていて、私のことを単なる親バカだと決めつけていたのですが、そのとき、同じくらいの年のお子さんを見て、失礼ながらみんな赤ちゃんに見えると思ったそうです。

この頃までに私がしたことは、朝、ドッツカード、絵カード、脳活性化カードなどを見せたり、絵本を5~10冊読んで公園で遊ばせ、お昼寝のあと朝と同じことをくり返し、プレイボードなどで遊んでいただけです。土、日は出かけることが多かったので、絵本や歌を聞かせるくらいでした。たったこれだけのことで、本当に感情豊かな子に育ちました。

2歳6ヵ月の頃からは、思考力などを養うチューターやプリント学習を始めましたが、これがとても気に入ったらしく、土、日以外に私か休もうとすると、「お母さん、今日プリントやってなかったね」と催促するようになりました。絵本も自分で読めるようになり、私が家事をしているときは、ひとりで本を読んだりしていました。

彼が生まれた頃は、育児がつらいと思っていましたが、ビッテ式「家庭保育園」のおかげで、育児がとても楽しいものになりました。この「家庭保育園」と巡り合わなかったらと考えると、背筋の寒くなる思いです。

3歳の頃より、遊び中心の幼児教室に週1回通い始めました。勇太は、お友だちを絶対たたいたりしません。きっと文字が読め、思っていることを話すことができるので、感動することも多いので、かんしゃくが起きないのではないでしょうか。

主人は、初め子育てには無関心で、仕事から帰ってきたときに子どもが起きていると不機嫌になるような人でした。それが今では、仕事から帰ってきたときに、子どもが走ってきて「お帰り」の言葉がないと不機嫌になるような親バカになってしまいました。
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2012年02月03日

障害の恐れを乗り越え幼児作文コンクールで金賞

胎教にもあまり興味のなかった私か、早期教育に目覚めたのは、出産後まもなくでした。34週の早産で、母子手帳には「異常」の丸印がいくつも並んでおり、医師からも、「障害は1歳すぎまで、はっきりわかりません」と告げられたほどです。

体重が2500グラムを超えてからも、高ビリルビン血症で、1ヵ月ほど入院が続きました。保育器の中で裸にされ、細い腕に注射針を射されたままになっているわが子をガラス越しに見つめながら、はってくるお乳もあげられず、不安と後悔で涙にあけくれる毎日でした。

わが子の将来を真剣に考えるようになり、障害児の本を手当たり次第読みあさっているうちに、出合ったのがビッテ式「家庭保育園」でした。闇の中に光が射すというのでしょうか、これに賭けてみようと思いました。

早期教育というと頭脳ばかりの詰めこみ教育といった子どもの心を無視した冷たいイメージをもっていましたが、ビッテ式「家庭保育園」の教育方法は、愛にあふれたあたたかいものだと感じました。さっそく「家庭保育園」に入会し、わらにもすがる思いで始めてみたのです。

1歳になるまでは、カードを見せたり、絵本を読んだり、プログラムに従って、一覧表をつくって毎日欠かさず、働きかけをしました。

生来、なまけものの私か、こんなに真剣に打ち込んだことは、後にも先にもないほど頑張りました。1歳の誕生日には、歩くことはできませんでしたが、ひらがなはすべて覚えており、ひとりで絵本を読んで楽しむほどでした。

2歳では、大好きな「ももたろう」の長いお話を一字一句間違えずに暗記して、近所の方々に「天才」と言われました。そうなると、なまけものの私はすっかり安心して、働きかけもせず、本人の自主性にまかせていました。しかし、それまでの働きかけが習慣化したのか、放っておいても、暇さえあれば絵本を読んだり、思考力などを高めるプリントをしたりしていました。

大人から見れば、それはかわいそうな苦痛のお勉強の光景かも知れませんが、本人はおもちゃで遊ぶのと同様、心から楽しんでやっていました。3歳では、お絵かきと同じように、自分からすすんで手紙や日記を書くようになりました。

年中組のときには、朝日新聞社の幼児作文コンクールで金賞をいただき、表彰式では代表で朗読をさせていただきました。性格も優しくて、わがままを言わず、約束もちゃんと守れる申し分のない子でした。

何をさせても、始めてから2、3時間は平気で集中力が持続します。ビッテ式でわが子をプラス指向で見るくせがついたためか、欠点をあげられないほどよい子に育ってくれています。

6歳のときには、ひとりで九州の祖父の所へ飛行機に乗って旅をしました。精神的にも自立しており、とても安定しています。幼児のときから自分の命は人のためにあることを教え、多くの偉人の伝記を読んであげていたためか、「大きくなったら、医者になって病気で苦しんでいる人々を助けたい」と言っています。

これも「愛情をいっぱいふりそそいで育てる」という、ビッテ式「家庭保育園」の教えのおかげと心より感謝しております。それから、「絵本も書きたい」「ピアニストにもなりたい」と「女ダ・ヴィンチ」を目指してがんばっています。
posted by kosodate at 23:58| 驚くべき天才児たちの誕生 | 更新情報をチェックする

4歳でバイオリンを弾き、作曲もする天才児

私か施した胎教と言えば、手元に童話の本など全然ありませんでしたから、難しいと思われる聖書を読んでやり、お腹の上から「50音」を指でなぞりながら教えただけでした。

ところが、不思議なことに生後3ヵ月で50音を大声で読んであげると、キャッキャッと言いながら、しまいにはゲラゲラ笑い出しました。

友貴が3ヵ月のとき、ビッテ式「家庭保育園」のプログラムを始めました。と言っても、私の産後の体調がおもわしくなかったので、毎日プログラム通りにできたわけではありません。

それでも寝たり起きたりしながら、主人にも家事を手伝ってもらいながらのスタートでした。とても信じられないと思われるかも知れませんが、生後3ヵ月には、テーブルにつかまって1分15秒ほど立っていられるようになっていました。生後4ヵ月のとき、プレイボードの上に「ゆ」「う」「き」の名前を貼って教えてやりました。プレイボードで遊んでいるうちに、友貴は自分の名前を覚えてしまいました。

5ヵ月になると、伝い歩きを始めましたが、自分の小さな片足でもう一方の足を踏みつけて身動きできなかった様子は、今思い出してもおかしくなります。ボールや色々な物を使って色の識別をさせると、5ヵ月のときには赤と青の区別ができました。

生後6ヵ月のときには、漢字カードをフラッシュして見せていたのですが、それで漢字に興味をもったようでした。街へ連れて出たとき、電柱に書かれている「手」という漢字をじっと見つめ続けていました。

「時計はどこ?」と聞けば、父親の腕時計を探し、「目や口や鼻はどこ?」と聞けば、手でさわって示せるようになったのも、この頃です。絵本が届いてからというもの、ずっと毎日5冊ずつ読んであげていましたので、大変本好きな子に育ちました。

2歳4ヵ月になると、バイオリンの早期教育で知られる鈴木鎮一先生の「愛に生きる」を読んで感動しました。この子の能力をより高めて、音楽によって美しい心を築きあげたいという思いから、バイオリンを習わせました。

と同時に「絶対音感を身につけさせよう」とCDを購入して、聞きっぱなしにさせておきました。あまり熱心ではありませんでしたが、しばらくして友貴に絶対音感が身についているのに気づきました。

あるとき、ピアノの上から物が落ち、鍵盤にふれてドの音が鳴ったのです。ピアノの近くで遊んでいた友貴は、「誰、今、ドって弾いたのは?」と言ったのです。

4歳すぎのある日、お絵かき帳にみずから五線譜を書き込み、音符を書いて何やら曲らしきものをつくって遊んでいたので、すかさず音楽帳を買い与えたところ、毎日のように音符を書いて遊び始めました。

本人は「作曲」という言葉を使い始め、「作曲が終わってからご飯を食べるからね」というような熱の入れようです。それでも私はまだ、ただまねをしているだけだと思っていました。ですから、本当に曲を書き始めたときには、まったく驚いてしまいました。

「おじいちゃんのうた」「おばあちゃんのうた」を作曲して、曲をプレゼントしたときには、ふたりに大変喜ばれました。もっと驚いたのは、あるとき、さだまさしさんの曲を聞き、自分で楽譜を書いてバイオリンで演奏したことです。

posted by kosodate at 01:33| 驚くべき天才児たちの誕生 | 更新情報をチェックする
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